水木しげるさんの左手を失った壮絶エピソードとは?性格は自身も認める超マイペースだった?

公開日: : その他

Sponsored Links

mizuki sigeru-2

日本を代表する漫画家水木しげるさん(93歳)2015年11月30日に心不全のため亡くなりました

代表作には「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」などの大ヒット作品を生み出し、文化功労賞も受賞しました。

そんな水木しげるさんは左手がない状態で漫画を描いていたことでも知られています。

今回は左手を失った壮絶なエピソード水木しげるさんの意外な性格などについてまとめてみました。

sponsored link

プロフィール

mizuki sigeru-1

本名:武良 茂(むら しげる)

生誕:1922年3月8日、大阪府大阪市

死没:2015年11月30日(満93歳没)、東京都三鷹市

職業:漫画家・妖怪研究家

引用:Wikipedia

水木しげるさんの本名は武良 茂(むら しげる)で、生まれたのはなんと大正11年の3月8日です。

当時日本は戦時中であったため、水木しげるさんは戦争のために徴兵されることになります。

 

左手を失った理由

21歳のときに軍隊に入隊することになった水木さんは戦争が激化する中で、戦場であった南方のニューブリテン島・ラウバルに行きが決定します。

 

ラウバルでは敵軍との戦争のほか、現地住民との争い、感染症などがあり、悲惨な状況でした。

水木さんも感染症であるマラリアを発症し、高熱で錯乱状態になり、ジャングルをさまよい歩いて危うく行方不明になりかけたとのこと。そんな状況にあった水木さんに追い打ちをかけるように敵機の爆撃を受けて、左手に重症を負うことになります。

そしてこの左手は麻酔のない状態で切断されることに…

 

今では信じられませんが、これほど過酷な状況の中で水木さんは左手を失うことになったようです。

このような話を聞くと平和な時代に生まれてきて本当に良かったなと思いますね。

 

意外な性格とは?

そんな過酷な状況を乗り越えてきた水木しげるさんですが、実は意外にも超マイペースな性格をしていたとのことです。

 

少年時代は朝寝坊してゆっくり起き、学校は2時間目くらいから登校していたとのこと。

軍隊に入隊する前の青年時代は会社に勤務するもマイペースさから次々仕事をやめさせられ学校も退学を繰り返していたようです。

軍隊時代でもマイペースさはそのままで、大胆過ぎる態度から風呂で幹部と間違われて先輩の兵士に背中を流してもらったこともあるそう笑

戦場であったニューブリテン島では他の兵士のように威張らない態度であったことか島の原住民トライ族と仲良くなり戦争から日本に帰還する際も農地を分けるからトライ族に一緒に暮らさないかと言われるほどだったようです。

 

 

そんなマイペースさがあったからこそ「ゲゲゲの鬼太郎」のような人気作品を生み出せたのかもしれませんね^_^

水木しげるさんの偉大で、親しみのあるエピソードはきっと後世でも語り継がれることでしょう。

水木しげるさんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

 

Sponsored Links

関連記事

新潟地震マグニチュード6.8はどれくらいヤバい!?東日本大震災や熊本地震との比較も

6月18日22時22分ごろ新潟県で最大震度6強を記録する地震が発生しました。 マグニチュードは

記事を読む

【画像】震度7、熊本地震の恐るべき被害状況、ツイッターまとめ

2016年4月14日21時26分、熊本県を震源とし、最大震度7を観測した地震が発生しました。

記事を読む

wowaka(31)の若すぎる死の原因は?なぜボカロPは早死にが多い?

4月8日にロックバンド「ヒトリエ」所属のwowakaさん(31)が亡くなったことが判明しました。

記事を読む

ボカロPのSamfree(31)、乙P(25)、椎名もた(20)の相次ぐ死…若すぎるその死の原因とは?

最近ボカロPのsamfreeさんが31歳という若さでお亡くなりになりましたが、他にもボカロPで若くし

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

  • Sponsored Links
  • エスモ

    管理人のエスモです。
    今話題の情報や役立つ情報、個人的に気になる情報などをジャンルを問わずになんでもお届けします。
    ごゆっくりとお楽しみ下さい。

  • スポンサーリンク
PAGE TOP ↑